\\人気の観光地にご案内//
◆「そっぽを向いたサル」に見える奇岩 壱岐のシンボル「猿岩」黒崎半島の先端にある、壱岐のシンボル「猿岩」。自然によって造られた奇岩は「そっぽを向いたサル」のように見えます。高さ約45mの巨大な猿のユニークな形はもちろん、岩越に見える大海原のコントラストも必見。SNS映えする写真が撮れると、人気を集めています。「古事記」では、5番目に誕生したと伝わる壱岐島。誕生当初は移動する「生きの島」だったため、8本の柱を島の周囲に立てて係留したとの神話が残されています。猿岩は、その8本の柱の内の1本と伝えられています。この特徴的な猿岩は壱岐を表すモチーフとして、イラスト等で随所で使われており、壱岐観光の代名詞となっています。
◆玄界灘を雄大に望む 壱岐先端の岬「左京鼻(さきょうばな)」
壱岐の東側に位置する、八幡半島の先端「左京鼻」。壱岐では、岬などの突端にある断崖絶壁を「鼻」と言い表します。左京鼻の名は、かつて、陰陽師の「後藤左京和尚」が、この断崖から身投げしようとしたことに由来しています。青い海と飛び出た岩のコントラストが雄大で美しく、また、先端の神社「左京鼻龍神」の鳥居の両側は絶壁で、風でよろけると海へ落ちてしまうのでは、と思うほどです。玄界灘を望む大パノラマと周辺には約1kmの長さの海蝕崖が見られ、海岸線には玄武岩の大岩が点在し、その類まれな自然景観は「壱岐対馬国定公園」に指定されています。突端の奇岩と波飛沫による自然の彫刻をご堪能ください。
◆海女の里として知られる八幡浦に祀られている「はらほげ地蔵」
長崎県壱岐市芦辺町、海女の里・八幡浦の海際に祀られている、6体の地蔵尊「はらほげ地蔵」。「お腹(はら)がほげる」の「ほげる」というのは九州の方言で「崩れる」とか「穴が開く」などの意味があります。この地蔵尊は、お腹のところに穴が開いていることから「はらほげ地蔵」と呼ばれるようになりました。いつ頃から祀られたかなど正確には分かっていませんが、昔クジラ漁をしていた人たちの豊漁祈願、遭難した海女さんの冥福を祈って、疫病が流行しないように等の言い伝えがあるようです。六地蔵は六道(りくどう)から救ってくれる存在です。六道とは人間の死後の世界にあるといわれる6つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)で、それぞれの衆生救済のため祀られています。
◆日本三大墓地に数えられる対馬藩主宗家累代の菩提寺「万松院」
1615年に対馬藩主・宗家20代義成が創建し、以降、宗家累代の菩薩寺となった「万松院」。何度かの火災により焼失したため、現在の本堂は1879年に再建されたものです。安土桃山式の山門と仁王像は焼失から免れた対馬最古の建物で、堂内には朝鮮国王から贈られた三具足、徳川将軍の大位牌が保存されています。墓所である御霊屋(おたまや)までは百雁木と呼ばれる132段の石段を登っていきます。登りきると、墓所の手前には樹齢1200年と言われる大スギが3本あり、杉としては対馬一の樹齢を誇っています。墓所には巨大な墓が荘厳な雰囲気の中ずらりと並んでいます。対馬最古の菩提寺で、宗家の歴史に触れてください。
◆五島キリシタンの受難と復活までの歴史を感じる「堂崎天主堂」
1873年に禁教令が解かれた後、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたりました。1879年、マルマン神父によって建てられた、五島における最初の天主堂「堂崎天主堂」。その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。島内各地に小教区制度が整うまで、五島キリシタン復活の拠点として、厳しい弾圧を耐え抜いた五島キリシタン受難と勝利の象徴でした。現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。1974年には、県の有形文化財の指定を受けました。穏やかな入江の側に建つ、レンガ造りの重厚な天主堂には歴史の重みも感じられます。【注1】
◆エメラルドのグラデーションと白い砂浜が魅せる「高浜ビーチ」
長崎県の西部、五島列島にある福江島の「高浜ビーチ」。白い砂浜と輝くエメラルドグリーンの海が最高に美しく「日本一美しい海」と称されることもあるビーチです。長崎港の西約100kmに位置する五島列島最大の島「福江島」。五島の政治・経済・文化・観光の中心地であり、海から見える海食崖や鬼岳からの眺望など美しい自然景観を誇る島でもあります。福江島のみならず、五島を代表する高浜ビーチは、水平線沖はコバルトブルーの大海原が広がり、浅瀬は透明度の高いエメラルドグリーン色。海のグラデーションと白い砂浜のコントラストは、目を見はるものがあります。観光客だけでなく、地元の人にも愛されている、のんびりと五島の大自然を体中で感じられるスポットです。
◆ルルドの泉が再現された福江島の西の静かな教会「井持浦教会」
福江島の西端、玉之浦にある「井持浦教会」。明治初期に五島でキリシタン迫害が行われた際、玉之浦地区は唯一迫害を逃れました。玉之浦が島の中心から遠く離れており、また五島藩の重要な財政源であった塩の生産が行われていたからともいわれています。「ルルドの泉」の本元は南フランス・ピレネー山脈の麓の町ですが、19世紀にローマ法王がヴァチカンの宮殿内にルルドを再現したことから、これに倣い世界各地に造られるようになりました。五島では1899年、フランス人宣教師ペルー神父の呼びかけによって五島の信徒達が島内の奇岩・珍石を集め、日本で最初のルルドを作りました。教会は1897年建立のレンガ造りでしたが台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。
◆荒削りした彫刻のような断崖絶壁が延々と連なる「大瀬崎断崖」
荒削りした彫刻のような断崖が、高さ150m長さ20kmにも及ぶ「大瀬崎断崖」。淡褐色の砂岩と黒色の泥岩が交互に重なった地層で、大瀬崎に打ち寄せる怒涛の波によって削りとられて大断崖となりました。地殻変動の巨大な力によって斜めに傾いたり、バッサリ断ち切られたような断層は、貴重な海触地形とされています。豪壮な海触断崖を連ねて、荒々しい景観を展開させるその様は、見る者を圧倒させます。突端には岬のシンボルともいえる「大瀬崎灯台」がそびえています。その先には、東シナ海の大パノラマが広がる美しいスポットです。荒々しい崖に反して、その眼下に広がる青い海と岬の緑、白亜の灯台とが織りなす色のコントラストが美しい景勝地です。
◆日本唯一の海城 国内最後の築城となった「福江(石田)城跡」
黒船の来航に備え、江戸幕府最後に築かれたといわれる「福江城」。別名「石田城」とも呼ばれています。五島藩主の居城跡で、1849年から15年の歳月をかけて築城されました。城郭は東西約291m、周囲約1346m。城壁の三方を海に囲まれた、日本唯一の海城です。日本で最も新しい城でしたが、築城9年目に解体されてしまいました。城の裏門である「蹴出門」は、何度か修復を繰り返しながらも現存されており、石橋や自然石を積み上げた石垣なども当時の面影が残っています。また、本丸跡には県立五島高校、二の丸跡に五島観光歴史資料館や図書館などが建ち並ぶ文化ゾーンとして、現在も活用されています。(車窓)
◆溶岩が海へ流れ込んでできた 黒くゴツゴツした「鐙瀬溶岩海岸」
鬼岳噴火の際に、鬼岳火山から流れ出した溶岩が海へ流れ込み、やがて海を覆って出来た鐙瀬熔岩海岸。10数kmにわたり、複雑な形をし黒くゴツゴツとした海岸線が広がっています。海岸一帯は1年中、温暖な気候に恵まれているので亜熱帯森林になっており、美しく情熱的に花木が咲いています。「鐙瀬(あぶんぜ)」と呼ばれるようになった理由は、1507年(永正四年)に妹婿玉浦納により16代領主囲公が反逆にあってしまい、馬で逃がれましたが、この地が鐙(あぶみ)が切れてしまいました。その後、漁船にて黒島に落ち延びましたが、反逆党が追ってきたために自ら命を絶ちました。以来、この地は「鐙瀬(あぶんぜ)」と呼ばれるようになったと言われています。
\\離島ならではのグルメに舌鼓//
1日目夕食/壱岐の食材を取り入れた島三昧会席
※12/2出発はビューホテル壱岐にご宿泊となり夕食内容が異なります。
2日目昼食/壱岐牛(約60g)の焼肉料理のご昼食
2日目夕食/新鮮な魚介類を石の上で焼いて食べる対馬名物石焼料理
3日目昼食/五島牛陶板焼き(約80g)と鬼鯖寿司(3貫)
※11/28出発は、握り寿司と天ぷら御膳となります。
3日目夕食/[下記出発以外]五島の恵みを味わえる和会席のご夕食
[12/6・10・13・24・25、1/11・17・20・21・26・28、2/7・8・11出発]イタリアンコース料理の夕食
[11/9・28、1/13・18、2/13出発]和洋折衷コース料理
※料理内容は季節の食材の仕入れ状況によって変更となる場合がございます。
ちゅらとく編集部
しんや
九州の離島ならではの絶景と歴史、グルメを一度に楽しめる贅沢さ!
壱岐では自然が生み出した迫力ある景観に心を奪われ、対馬ではガイドの案内を通して島の歴史や文化に触れられました。五島列島では、透き通るような海や断崖の絶景に感動!各島ならではの魅力を満喫できるうえ、壱岐牛や五島牛、鬼鯖寿司などのご当地グルメも旅の楽しみです。
さらに、ジェットフォイルや飛行機などの離島便を活用するため、移動の負担を抑えながら3つの島を効率よく巡れるのも魅力。沖縄から、いつもとはひと味違う島旅を楽しみたい方におすすめです!